明治時代より続く万年青の老舗に誕生
万年青と共に育ったと言っても良い幼少期
祖父から万年青の話を聞かされるような毎日を過ごしました
大学を卒業後 一旦は宝生園に入りますが
違和感を感じ他に就職
そして元々植物が好きだったことから
花屋に勤務し その後独立し花屋を開業
しかし父の病をきっかけに宝生園に戻り
万年青の仕事を受け継ぐなります
万年青と真っ直ぐ向き合うことになったのは14年前から
祖父と父から聞かされていた万年青の話も
実際に万年青を触るようになり
夏場の水やりのように「お話」が初めて心に染み入ります
伝統的な万年青の世界では珍しい女性専門家
本人に曰く「小さいころから変わっていた」は
特殊な世界観を持つ万年青という
存在そのものようにも思えます
明治18年(1885) | 初代・鈴木勝治郎 東京市本郷区駒込片町23番地(現・東京都文京区向丘)に「宝生園」創業 |
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明治31年(1898) | 同業の盟友と共に「万年青銘鑑」発行 |
明治33年(1900) | 「万年青同好会」発足 |
大正7年(1918) | 明治後年からこの年までの間に東京府北豊島郡巣鴨町上駒込124番地(現・JR山手線駒込駅南口駅前)に移転 |
大正11年(1922 | 「万年青同好会」が「東京園芸組合」に発展 この年の11月第1回目の品評大会開催(会場:浅草本願寺信光会館) |
昭和2年(1927) | 初代・鈴木勝治郎逝去 享年78歳 |
昭和3年(1928) | 鈴木勝治郎の二代目として水野菊三郎が「宝生園」園主となる 同じ年、万年青会の錚々たる面々が揃い初代勝治郎一周忌を前にその功績を讃え墓碑を建立 場所は駒込の西福寺 この寺には園芸家の元祖と言われる伊藤伊兵衛政武の墓(東京都史跡・徳川将軍家や藤堂家の植木を管理 また園芸書を著作)があり また染井吉野発祥地としても知られる園芸にゆかりの深い地 |
昭和13年(1938) | 千葉県市川に第二培養所開設 |
第二次世界大戦中 | 日増しに激しくなる空襲を避け愛知県岡崎市に移転 |
昭和59年(1984) | 二代・鈴木菊三郎逝去 享年82歳 水野輝男三代目を継ぐ |
平成21年(2009) | 三代・水野輝男逝去 享年72歳 水野圭子四代目を継ぎ現在に至る |