岡崎市万年青専門店 宝生園

宝生園の万年青

東京から三河・岡崎へ

宝生園万年青の帰還

宝生園は明治18年(1885)、初代・鈴木勝治郎が東京市本郷区駒込片町(現・東京都文京区向丘)に始まりました。
当時の駒込片町あたりは、関東における園芸のメッカで、勝治郎が眠る駒込の西福寺は、ソメイヨシノの発祥地としても知られる共に園芸にゆかりの深い地です。
その後、当園は先の大戦中、日増しに激しくなる空襲を避け、二代・鈴木菊三郎の故郷、愛知県岡崎市に移転しました。
そもそも万年青が広く知られる様になったのは、徳川家康公関東移封の折りの、言わば「引っ越し万年青」がきっかけでした。
そして時代を経て移転した先が、家康公生誕の地・岡崎。まるで、万年青に連れられて「ふるさと」に戻ったようです。
三代・水野輝男(鈴木姓から旧姓に戻す)から、現・四代は水野圭子。この父娘により6つの登録品種(宝生園独自の品種)が生まれました。

玉楼

宝生園の登録品種

鉢は全て楽鉢 詳細はこちら

  • 翠艶
  • 宝生
  • 勲泉
  • 丸姫
  • 潮

万年青と楽鉢 西三河の地より共に

愛知県安城市の愛楽園

利休好み

万年青を植える代表的な鉢は艶の有る黒い肌と3つの脚をもつ独特なかたちです。また鉢縁の直径と高さが1対1という比率も決まっています。
この独特の万年青鉢は楽焼の手法で作られています。
楽焼の始祖は長次郎という方。千利休の好みを反映し、侘び寂びを茶器で表現しました。「樂」の名は、豊臣秀吉の京都の別邸・聚樂第の「樂」から命名されたと言われています。
楽焼の大きな特徴は急熱急冷の焼成方法。この手法で作られた黒楽鉢は、水が適度に抜け、過度の水分を嫌う植物用の鉢としては最適です。

江戸のふるさと西三河より

黒地を背景として、金・銀・白や朱、緑などの顔料で、古典的な文様や鶴亀などのめでたい図柄をひとつひとつ描き込みます。正確無比な描写ですが、人の手による微妙な揺らぎは、鉢に大きな魅力を与えています。
この黒楽鉢と万年青が一体となった時、万年青の世界は完成度を高めるのです。
古来からの手法にこだわる窯元は愛知県安城市の愛楽園。江戸で花開いた万年青の魅力を江戸のふるさと・西三河からお届けいたします。

愛知県安城市の愛楽園

愛知県安城市の愛楽園

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